外航への挑戦
青野正社長は、かねてより外航への進出構想を温めていた。
「青野海運は、新居浜で生まれ新居浜で歴史を刻んできた。しかし海の世界は広く、世の中の流れから見ても、青野海運はローカル会社から脱皮しなければならない。100年間、新居浜に育ててもらったからといって、従来のやり方を踏襲していくだけでは、企業としての発展はない。内航海運業者といえども、国内のみならず、広く海外へ目を向けなければならない。たちまちは、中国・韓国・台湾など、東アジアを視野に入れる必要がある。青野海運は、外航に挑戦する!」
平成6年(1994)、社内で青野日美副社長を中心に外航進出が検討され、真鍋米一専務が実務を担うことになった。外航進出について、住友銀行新居浜支店に相談したところ、有限責任監査法人トーマツ国際部を紹介された。
青野海運では、トーマツのコンサルティングのもと、外航のコントロールタワー(オペレーター)として、シンガポールに「SUIYO SHIPPING PTE.LTD」を設立するとともに、SPC(特別目的会社)としてパナマに「T&T MARINE S.A」と「DUCK MARIN S.A」を設立することとし、早速その準備にとりかかった。
当初の計画では、司令塔としてのSUIYO社の統制下に、SPC2社を位置付けて、T&T社には中古LPGタンカー「BAYSTAR」を所有させ、DUCK社には中古LPGタンカー「NEW WAVE」を所有させて、効率的に運航する構想を描いていた。
しかし、シンガポールの厳格な法令規則に基づくSUIYO社の設立手続きに思いのほか日数を要して、パナマのT&T社(青野海運出資)とDUCK社(丸重海運出資)の設立及び船舶の運航の方が、司令塔に先行するという不測の事態が生じた。
SPC2社の司令塔の役割を果たせなくなったSUIYO社は、やむなく現地で船舶をチャーターするなど、事業の継続に努めたが、計画の齟齬に加えて、慣れない経済環境下で事業は軌道に乗らず、3年ほどで撤退するに至った。SPCのうち、DUCK社は、その後、MBC(MARUJYU BULK CARRIER)に吸収合併された。一方のT&T社は、「BAYSTAR」のリプレースで、「LILIUM GAS」を新造した。
外航船「LILIUM GAS」を建造
「LILIUM GAS(リリウム ガス)」は、平成9年(1997)に青野海運が満を持して建造した初の外航船であった。
同船は、外航LPG船として、液化石油ガスのプロピレンを、日本から中国・台湾・マレーシアまで輸送する役割を担う。青野海運にとっては、それまで傭船で荷主・住友商事の要請に応えていた近海部門の事業である。
自社船「リリウム ガス」の建造は、近海船のオーナーオペレータを目指す青野正社長の強い決意の表れであった。船長以下の船員たちは、全てフィリピン人を配置した。
同船は、青野海運の期待を背負って就航した。
しかし、外航の世界は、内航とは勝手が違った。外航船の運航ノウハウ、船舶管理、海外企業の与信管理などの準備が十分とはいえず、不採算が続き、追い打ちをかけるように不測の事態に遭遇する。
就航8年目の平成17年(2005)7月、ベトナム沖を航行中に、いきなり現地の海賊に襲われたのである。「リリウム ガス」の速力は13ノットで、しかも舷側の低い船体構造であった。速力に勝る海賊船が、「リリウム ガス」に横付けしたかと思うと、間髪を入れず武装した海賊たちが船に乗り込んできた。
「各自、キャビンに退避せよ!」
船長の号令一下、船員たちが退避した。
船に乗り込んだ海賊たちは、何かを大声で喚きながら、船室の窓ガラスを乱暴にたたき割った。しかし窓には頑丈な鉄格子が入っており、室内に侵入することが出来ない。やがて海賊たちは、諦めて船を立ち去った。
こうして船長の冷静沈着な判断と、丈夫な鉄格子によって、「リリウム ガス」は、危機を逃れた。
「同じ海運でも、外航と内航は全く違う。このまま、外航を継続するべきか否か?」
青野正社長にとって、苦渋の決断であった。「やむを得ん。一時、外航から撤退しよう」
海賊による危機は逃れたものの、不採算が続いたことから、「リリウム ガス」を売船して、青野海運は、外航からの一時的な撤退を余儀なくされた。
不採算部門からの撤退は、経営者にとって大事な決断である。