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第二章 始動期(大正)タンク船の開発に心血注ぐ

第7・第8光輝丸を次々建造

 重松の死亡により、長男の市太郎が二代目として家業を継承することになった。その1年後の昭和11年4月15日、青野回漕店は住友化学工業株式会社よりその功績を認められ、表彰状と記念品を受けた。
 「大正6年5月21日より昭和10年6月29日迄18年1ヵ月の久しきに亘り製品運送業に従事し其の間終始一貫忠実熱誠に其の業務に勉励せられたるは洵に他の模範とするに足りる仍而茲に銀杯1組を贈り以て其の功労を表彰す」と表彰状に記されている。肥料などの製品輸送の元請けから始まって硫酸のタンク船輸送へと勤勉なまでに住友化学工業株式会社の要請に応えてきたその姿勢が賞されたのであった。
 『第5光輝丸』の新造に続いて翌11年には『第7光輝丸』(270トン積み)と『第8光輝丸』(80トン積み)の2隻を建造した。タンク船の輸送需要が増えていたのに加えて、第1船の『第5光輝丸』が大いに活躍してくれたおかげであった。当時は木造船に対して金融機関はそう簡単には融資をしてくれず、船主が金策に駆け回ることが多かった。それにある程度の自己資金がなければ船は造れない。2年間で3隻もの機帆船を建造できたのは青野回漕店の資金力の厚さと荷主企業への安定輸送の姿勢を示したものであった。これまで主として回漕店形式をとってきたが、自社船の増加によって経営内容も一段と充実してきた。
 
 

 

 
表彰記念写真

表彰記念写真
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