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文章中に記載されております各企業様の社名は、年代をさかのぼり当時の社名で記載しております。最新の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。


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第六章 充実期(昭和40年代)社訓十則に企業姿勢

倉庫『アトラス』を建設

平成2年12月から営業開始

 内航海運以外の多角経営も広がり出した。商事関係を担当している丸重商事株式会社は非鉄金属製品の販売、住友金属鉱山株式会社の故銅、銅滓の輸送、銅の切断・荷造り業務などを行い、45年から一般区域貨物自動車運送事業の免許を取得し、住友関連の荷物のほか、新居浜大丸百貨店の商品配送業務まで請け負うようになった。平成2年には一般区域貨物自動車運送事業の免許営業範囲も、愛媛県内全域に拡大した。また、平成元年1月には新居浜東港に面した新居浜東部工業団地内に6,000平方㍍の土地を購入し、延べ床面積約5,000平方㍍の2階建て倉庫を建設、2年12月から営業を開始した。主力の取り扱い品は住友化学工業株式会社の製品。倉庫には「AONO TRANSPORT STATION」を簡略化して「アトラス」という商標を付けた。アトラスは、当初より1万平方㍍近い土地も隣接に購入ずみで、機会をみて倉庫を拡張し、1本立ちさせる計画であった。「倉庫事業は初めてで最初は足を引っ張ると腹をくくっていましたが、計画以上にうまくいっています。これをベースに今後はもっと倉庫、トラックなどいろいろノウハウを蓄積していきたい」(正社長 1994年当時)
 昭和61年秋から平成3年末まで続いた好況にうまく乗り青野海運グループは大きく成長した。グループの年商は50億円となった。4代目社長の正が最初に振った采配は見事という他ない。
 しかし、また不況がやってきた。バブル景気がはじけ、史上最長・最高の好況に沸いた内航は一転して、史上最悪の不況に陥った。しかも、今度は構造不況で素材産業の容易な復活はあり得ないとみられている。青野海運株式会社が主力とする無機薬品、ケミカルとも伸びは頭打ちまたは減少が予想され、青野海運株式会社は創業以来の大きな節目を迎えた。
 平成3年には、高橋和昌が取締役に就任した。高橋和昌は住友化学の出身で大阪で営業を担当している。
 
 

 

 
瀬戸大橋(朝日新聞社提供 昭和63年4月)
瀬戸大橋(朝日新聞社提供昭和63年4月)

平成4年に企業経営5戒策定

 その節目の平成4年正月に正社長は『企業経営五戒(我社の企業理念)』を策定した。

 1、企業は、本業に徹し、いたずらに浮利を追わない。
 1、企業は、社会と共存共生し、社会に貢献する。
 1、企業は、従業員のゆとりと豊かさの実現に努め、人間性尊重を柱とする。
 1、企業は、地球環境保全に積極的に配慮した企業活動をする。
 1、企業は、あらゆる法の精神を守り、社会の秩序、安全を損う反社会的団体との関係を断つ

 この企業経営五戒はバブル経済の崩壊を機会に企業の本来のあるべき姿を再確認したもので、その精神は社訓十則に根ざしたものであり、創業者以来、青野海運に伝わる信条でもあった。

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青野海運グループ史

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