青野海運グループ
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陰から企業支えた重馬
明治27年に青野重松が創業
元禄4年に別子銅山稼働
静かな漁村だった新居浜
煙害防止が化学工業生む
当初は資材納入が主力
2代目・市太郎も家業に従事
肥料製造所の製品輸送
森実組と共同鉱石部設立
第一章 年表
2回とも苦い経験味う
3回目のトライで成功
3代目・青野重馬が入社
第1号の社船・第5光輝丸建造
第7、第8光輝丸を次々建造
新居浜港防波堤の捨て石工事
市太郎が第1期市議会議員に当選
第二章 年表
第8光輝丸に徴用指令
昭和17年、青野組に改称
「液体工業薬品漕船運輸」に参加
深刻だった機帆船事情
陰から企業支えた重馬
第三章 年表
タンク船5隻で再出発
住友の硫酸工場も生産再開
海運軸に再建期し青野海運社
新居浜港の開港で活躍
いち早く船腹拡大に努める
硝酸のタンク船輸送開始
発煙混酸用に第21光輝丸建造
第四章 年表
青野海運株式会社に改組
晒液、塩酸など新貨物増加
液体アンモニアの輸送始める
貨物船に小型鋼船ブーム
初の鋼船・第1金光丸建造
鉄筋コンクリートの社宅竣工
36年、一挙に3隻の鋼船進水
第8、第11金光丸と鋼製艀建造
第五章 年表
貨物船不況を横目に順調
のれんに対する大きな信用
経営再建に重馬が大なた
43年に市太郎会長、重馬社長
硫酸専用タンカー・第58金光丸
44年に本社ビルが竣工
社訓十則を制定
業績は順調に推移
第六章 年表
第1次オイルショック発生
難産だった第62金光丸
内航運送業第1号業者へ昇格
育っていく後継者たち
市太郎88歳の大往生
2代目、丸重海運を設立
古希を迎えた青野重馬
第2次オイルショック勃発
管理部門を分離、丸重興産設立
第七章 年表
バトンタッチへの準備
4代目の幕開け、正社長就任
中期経営計画を策定
積極的な船腹拡充
四国商興(エースマリン)傘下に
倉庫『アトラス』を建設
総合物流業者への脱皮目指す
惜しまれた重馬会長の死去
第八章 年表
※
文章中に記載されております各企業様の社名は、年代をさかのぼり当時の社名で記載しております。最新の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。
第三章 激動期(戦前)太平洋戦争で苦難の道
陰から企業支えた重馬
貨物船、薬槽船、港湾運送を経営の3本柱としていた青野組は市太郎が外交、重馬が内にあって金庫番、という役割分担は戦時中も一貫して続き、理論派の重馬は厳しい情勢を見極めながら、蔭の力として青野組を昭和20年8月15日の終戦までしっかり支えた。
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