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古希を迎えた青野重馬 |
新居浜商工会議所会頭に就任したのもこの古希の年であった。市太郎とともに親子二代の会頭就任だった。
会頭としてもっとも大きな功績は、商工会議所会館の建設と地域経済振興への努力であった。ちょうど不況の中だったが、先頭に立って会館の建設を進めた。完成後、59年には「私の仕事は終わった」と会頭の席をあっさり後進に譲った。重馬は地位や名誉に恬淡としていた。そうした人柄だからこそ公職にかつぎ出されたのかもしれない。このほかにも公団共有船主協会評議員(50年5月)、新居浜海事振興会会長(51年6月)、四国海事広報協会理事(同)、全国薬品タンク船海運組合副理事長(同)などの要職を兼務した。これらの公職、業界団体への貢献を認められ、重馬は53年4月、紺綬褒賞、11月には勲五等双光旭日章を晴れて受章した。 |
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勲五等双光旭日章
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昭和53年には、『第62金光丸』以来5年ぶりの新造船『第75金光丸』が7月に高知重工で竣工した。初荷は千葉向けの液体アンモニア800トンであった。同月『大和丸』(船主・谷川浅一)を改造、船体を引き延してタンク容量を増加させた。住友化学工業株式会社愛媛製造所から千葉製造所向けの希硝酸輸送に当たった。新規輸送では『第5春日丸』(船主・脇坂勇夫)で1月からパークロールエチレンの輸送を始めた。
役員人事(1月)では正が常務取締役、光年、日美が取締役に就任して充実を図った なお、3月には愛媛県の金子川激甚災害対策特別緊急事業によって旧本社事務所、新田町の本宅が解体された。 |
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第75金光丸(昭和53年4月)
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