menu mokuji 年表
menu data

文章中に記載されております各企業様の社名は、年代をさかのぼり当時の社名で記載しております。最新の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。


トップページへ

history title

第三章 激動期(戦前)太平洋戦争で苦難の道

『液体工業薬品槽船運輸』に参加

 貨物船業者は地区機帆船海運組合や新居浜海運に統合されたが、一方、タンク船業者でも企業集約が相次いだ。タンク船業者は貨物船業者とは異なり、業務内容、運航区域などが理解されにくく、貨物の数量も少ないため地区機帆船海運組合に所属することに難色を示していた。つまり、独自の組合を組織したいとの意向が強く、昭和17年10月、タンク船業者が集まって『全国沿岸タンク船海運組合(全タン)』が結成された。同組合は、油送船部門を全国3地区に分け、東部(東京)、中部(大阪)、西部(下関)の3 支部とし、別に全国一円を対象とする『薬品支部』を大阪に設けた。『全機連』と『全タン』の交捗によって、タンク船業者の燃料油購入券は各支部単位で一括に交付を受けることとなった。
 『全タン』の結成に触発されて、薬品タンク船業者間でも運航統制を実際に行う組織が必要だという声が高まってきた。同じタンク船でも油送船と薬槽船とでは似て非なるものだからで、昭和17年12月全国の薬槽船業者を集約して『液体工業薬品槽船運輸統制株式会社』(本社大阪市。資本金18万円)が設立された。集約といっても営業権のみを一本化し、資本の合体は行わず、業者が個別に運送義務を行うという、にわか仕立ての統合会社だった。同社への主な参加企業は青野組のほか、辰巳商会、三輪回漕店、甲斐機船、株式会社鴻池組、三弘組、石原産業海運合資会社、神島化学工業株式会社、安孫子商店、理研金属株式会社、徳山海運、東港運送店、臼倉運送店、小野商店などだった。
 創立時の役員は、代表取締役社長が四宮忠蔵、常務取締役は三輪登、取締役は蒲原貞一、青野市太郎、太田誠三郎、楠瀬正樹、平田実、篠山仲治、石川次郎、川口秀基、三堀弘良、監査役は甲斐勝郎、安孫子市松であった。本社は当初、大阪市港区二條通4丁目の辰巳商会内に仮事務所を置き、昭和18年3月から同市東区横掘2丁目(都菊ビル)に移転した。
 同社は昭和18年2月から実際の運航統制を行った。輸送契約はすべて統制会社が結び、配船計画を業者に指示して運航を実施した。青野組でもこの配船計画に従って所有船をフルに活動した。やはり新居浜発の住友系の無機化学品類の輸送が主体を占めた。

住友共同火力向け石炭輸送

  新たな仕事もあった。青野組は昭和18年、『住友共同火力』の要請によって、若松、博多、長崎方面から月間1万トンの燃料炭の輸送を始めた。『住友共同火 力』は新居浜の住友グループの諸企業に電力を供給する目的で設立された電力会社だった。石炭など燃料事情は次第に深刻となっていたが、青野組はこの苦境の 中で若松から曳船輸送を行い、その責任を果たした。
 
 

 

 
若松の石炭船
若松の石炭船

back

青野海運グループ史

next

前へ

 

次へ