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36年、一挙に3隻の鋼船進水 |
住友金属鉱山株式会社、住友化学工業株式会社の出荷量増大 |
酸類増産に対応した第3金光丸 |
『第3金光丸』は住友金属鉱山株式会社及び別府化学工業株式会社の工場拡張による酸類の増産計画にこたえて、7月に来島船渠株式会社で竣工した。前年の鋼船第1船『第1金光丸』と同型船。『第7金光丸』はメタノールタンカーで9月に広島県木江の東和造船で竣工した。住友化学工業株式会社は大阪・桜島~放出(はなてん)間のメタノール輸送を従来トラックで行ってきたが、海上輸送に切り換えるため、青野海運株式会社に専用船の建造を要請したものだった。桜島から放出の広栄化学工業株式会社向けへ安治川を使って水上輸送する場合、30数カ所ある橋が難関となった。そこで大阪出張所の社員たちは縄に重りと目盛りを付け、橋の上からぶら下げたり、小型の曳きボートを雇って水面から橋桁の高さを1つ1つ実測した、という苦労話も残っている。昭和33年の鶴崎工場向け輸送が吃水の浅い船を使った経験を持つ市太郎の考案で、ひらべったい特殊構造船(100トン積み)を造った。満潮時に川を遡り、空船になると吃水が浅くなるため干潮時に下ってきた。メタノールと重油を混載した。片道2時間ぐらいで月間20航海ぐらい運航し、大きな成果を上げた。ただし、ロットが小さく、冬場に波が荒れると堪航能力がないため他の航路には使えず、張り付けとして使用せざるを得なかった。この『第7金光丸』は大阪の水上バスのヒントになったともいう。この頃、大阪市が水上バスを導入することになり、関係者が『第7金光丸』を見学しに来た。これに対し同船の船長は潮の干満などについていろいろアドバイスを与えたという。
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第3金光丸(昭和36年) |
貨物船の第5金光丸建造 |
青野海運の本社事務所社長宅兼用
(昭和53年まで)) |
貨物船・第5金光丸(昭和36年10月)
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事務所風景(昭和36年) |
昭和36年2月に大阪市大正区灘波島町に難波島出張所(初代所長は黒川健一郎)を開設した。荷主の南海化学工業株式会社の要請によるもの。硫酸、塩酸、苛性ソーダなどの荷役立ち会い業務を担当した。7月には増資して資本金を2,000万円とし、10月に製鉄化学工業の発足に伴い、姫路市飾磨区入船町に姫路出張所(初代所長は守谷幸一)を開設し、硫酸の受け入れ、『第1別府丸』、『第2別府丸』による液体アンモニアの輸送業務の円滑化を図った。製鉄化学工業は富士製鐵(現:新日鐵住金)広畑製鉄所のコークス炉ガス(COG)をアンモニアガス源として利用するため、住友化学工業株式会社と富士製鉄が35年6月、新会社製鉄化学工業を設立、さらに36年9月、別府化学工業株式会社が製鉄化学工業を吸収合併し、社名を製鉄化学工業と改めて新発足したもの。
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姫路出張所
昭和36年10月5日開設 事務所は製鉄所より借用 |
なお、市太郎は36年11月3日、多年にわたり海運業界の発展に尽力した功績を認められ、藍綬褒章を受賞した。
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青野市太郎、トク夫妻(昭和36年11月3日)
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