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第五章 成長期(昭和30年代)経済成長の波に乗って

初の鋼船・第1金光丸建造

 青野海運株式会社が初の鋼船『第1金光丸』(139G/T)を建造したのは昭和35年であった。住友化学工業株式会社新居浜製造所から大阪桜島中継所向けの硫酸輸送のために計画したもので、来島船渠で8月4日に起工、12月21日に竣工した。薬品タンク船業界で鋼船化のトップを切ったのは29年12月に竣工した共和産業海運の 『第1共和丸』とされている。辰巳商会でも29年3月に小型鋼船を新造しているものの、これは貨物船で、鋼船タンク船『第23辰巳丸』の建造は34年10月のことであった。薬品タンク船業界もこの頃から小型鋼船へと移行していった。来島船渠で建造したのは、市太郎が新居浜市議会、新居浜商工会議所議員として活躍し、その活動を通じて坪内寿夫来島船渠社長と知り合ったのがきっかけとなった。 100トンのタンクを2本縦積みで搭載した。
 
 

 

 
第一金光丸の進水式(上)
第一金光丸の進水式(上)に出席した
(左から)市太郎、重馬、トク(市太郎夫人)、
田鶴子(重馬夫人)/昭和35年
第一金光丸の進水式
第一金光丸の進水式

木船第1、第2別府丸も建造

 『第1金光丸』の建造とほぼ並行して機帆船の『第1別府丸』(124G/T、100馬力)、『第2別府丸』(112G/T、100馬力)も建造した。鋼船よりもまだまだ木船が主力だった。
 『第1別府丸』、『第2別府丸』と『光栄丸』は主として別府化学工業株式会社向けで、液体アンモニア、ホルマリン、メタノールなどの工業薬品の輸送に従事した。別府化学工業株式会社は35年から37年にかけて住友商事株式会社を通じ、東洋ソーダなどのソーダ業界へ塩安増産用の液体アンモニアの大量販売に実績を上げつつあった。また、『第51光輝丸』を使用して、菊本製造所から岩国の山陽国策パルプ株式会社向けに液体硫酸バンドの輸送を行った。
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青野海運グループ史

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