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文章中に記載されております各企業様の社名は、年代をさかのぼり当時の社名で記載しております。最新の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。


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第八章 飛躍期(昭和平成年代)21世紀へ向け意識改革

四国商興(エースマリン)傘下に

ケミカル進出への足固め

 さらに平成元年には丸亀に本社を置く四国商興を買収し、青野海運グループの傘下に収めた。四国商興は昭和30年12月に四国化成工業株式会社丸亀工場の二硫化炭素の海上輸送を目的に設立された会社で当時、次のような仕事を行っていた。
 ①協和ガス化学工業株式会社向けのメタノール(46年)輸送
 ②日本硫炭化学工業株式会社向け二硫化炭素輸送
 ③丸紅株式会社向けのエタノールその他ケミカル(48年)輸送
 ④伊藤忠商事株式会社向けのエタノールとその他ケミカル(52年)輸送
 ⑤出光石油化学株式会社向けのパラキシレン(53年)輸送
 ⑥三菱商事株式会社向けエタノール(54年)輸送
 ⑦株式会社クラレ向けのケミカル(55年)輸送
 ⑧電気化学工業株式会社向け酢酸ビニール(59年)輸送
 ⑨日商岩井株式会社向けケミカル(60年)輸送
 同社は地道な会社だったが後継者がいないことから売却話が持ち上がり、青野海運株式会社に白羽の矢が立ったものだった。社長には営業担当でやり手の大番頭である日野邦雄が就任した。買収した当時は船舶は4隻だけだったが、青野海運株式会社、丸重海運株式会社、共栄物産株式会社から船をシフトし、新造、買船して船隊を整えていった。四国商興の買収はケミカル分野への進出を図る青野海運株式会社にとって大きなプラスとなった。なお、同社は3年後に社名を『エースマリン株式会社』に変更した。
 グループの丸重海運株式会社、共栄物産株式会社、四国商興(現・エースマリン)の船腹増強は次の通りである。
平成  
元年4月 特タン船『第21神栄丸』(199G/T、490D/W)
元年12月 白油タンカー『第7光輝丸』(489G/T、1,000D/W)
2年10月 希硝酸船『第8光輝丸』(288G/T、686D/W)
3年5月 全濃度硝酸船『第11光輝丸』(199G/T、495D/W)
3年10月 特タン船『第1神徳丸』(198G/T、295D/W)
4年2月 ケミカル船『第32光輝丸』(498G/T、1,230D/W)
 そのほか、受託船のリプレースも進んだ。平成元年1月には硫酸船『第3大和丸』(489G/T、船主・大和海運)、2年1月にはメタノール船『住幸丸』(197G/T、船主・住幸汽船)、同年10月に硫酸船『松吉丸』(196G/T、船主・重田海運)、3年7月に硫酸船『第3泉丸』(173G/T、船主・共栄海運株式会社)がそれぞれ進水し、新戦力となった。
 
 

 

 
エースマリンの事務所風景
"エースマリンの事務所風景
平成元年と改元(共同通信社提供)
平成元年と改元(共同通信社提供)
第21神栄丸  (平成元年4月)
第21神栄丸 (平成元年4月)
第7光輝丸  (平成元年12月)
第7光輝丸(平成元年12月)
第8光輝丸 (平成2年10月)
第8光輝丸  (平成2年10月)
第1神徳丸  (平成3年10月)
第1神徳丸(平成3年10月)
第32光輝丸(平成4年2月)
第32光輝丸(平成4年2月)
第11光輝丸(平成3年5月30日)
第11光輝丸 (平成3年5月30日)

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