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第三章 激動期(戦前)太平洋戦争で苦難の道

昭和17年、青野組に改称

太平洋戦争で国家統制強化

昭和16年12月8日に太平洋戦争に突入すると多数の船舶が陸海軍に徴用された。開戦から5ヵ月目の17年4月に政府は特殊法人の船舶運営会を設立、船舶の運営の一元管理を図ることになった。国家使用の対象船は100G/T以上の汽船と150G/T以上の機帆船で、逓信大臣の使用令書一つで国家使用となり、国が国家使用船を船舶運営会に貸し渡して一元的運営に当たらせた。
 青野運送店ではタンク船の本来業務とともに、艀、石炭荷役などのウェートが高くなり、昭和17年、青野組に改称した。

新居浜海運設立に加わる

   昭和17年6月には統合会社『新居浜海運株式会社』を設立することになり、青野組も参画し、市太郎が常務取締役に就任した。同社は戦時海運管理令によって、従来、地元の新居浜港で回漕業を経営していた青野組、森実組、桑原組、金栄丸の4社と新居浜に出張所を置く田渕海運、丸亀組、是則運送、村井商店、土谷運送の5社、それと住友鉱業別子鉱業所の運輸課を加えて、「一港一店」の方針の下に統合されたのだった。その時の役員は次の通り。
▽代表取締役/野波福次郎▽常務取締役/青野市太郎、森実元知、▽取締役/田渕建樹、中井安次郎、▽監査役/桑原幾太郎、岩田武八、白石伍録。
 本社は新居浜市乙1番地-1に置かれ、資本金は10万円。2,000株のうち青野組は20%の400株を保有した。
 この会社は別子鉱業所運輸課の一室を借り受け、事務主任以下3名の職員を置いて、官庁関係の統制的事務、つまり「輸送申込書」の受理。「輸送計画書」の作成、「輸送実績報告書」などを作成して、地区機帆船海運組合を通じて燃料油の割当などを行った。こうした業務は本来なら中央統制団体の全機連が行うべきものだったが、業務が円滑に運ばないため政府が地区組合の指導下で物資の共同引き受けを行わせる回漕統制組合を設けた。この回漕統制組合が新居浜海運というわけである。
 また、機帆船の航行は最寄りの管海官庁の承認が必要となり、内地と朝鮮、関東州、満州、中国航路では外航承認制が実施された。これに続いて昭和16年12月から沿岸航行も承認制度が採用され、15G/T以上の機帆船、帆船が内地沿岸を航行するにも、それぞれ所属する地区機帆船海運組合の承認を得なければならなかった。地区機帆船海運組合は政府から石油購入券交付団体の指定を受け、所属船の石油購入券を一括して交付されていたので、石油割り当て手続きも新居浜海運の大きな仕事となった。
 
 

 

 
太平洋戦争に突入
太平洋戦争に突入
昭和16年12月(朝日新聞社提供)

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