menu mokuji 年表
menu data

文章中に記載されております各企業様の社名は、年代をさかのぼり当時の社名で記載しております。最新の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。


トップページへ

history title

第六章 充実期(昭和40年代)社訓十則に企業姿勢

44年に本社ビルが竣工

 昭和44年には本社ビルを建設した。その前年には従業員用社宅の3棟目を完成(43年3月)し、社員の福利厚生施設を整備したばかりで、地元では青野海運株式会社の積極的な設備投資に目を見張った。本社社屋は新居浜市新田町1丁目122番地(現1-1-17)で44年3月に起工式を行い、5月に着工、10月に竣工した。敷地面積は448㎡に鉄筋コンクリート造4階建て、本館の建築面積365㎡(延べ面積1,404㎡)で、施工は住友建設株式会社四国支店だった。しょうしゃで近代的建物であり、今だに新しいデザイン。関係者や地元の人々を「さすが青野さん」とうならせた。11月11日の落成式には多くの人々が集まり、新本社の完成を祝った。なお、5月には創始者・重松と会長・市太郎の胸像を社員一同が贈った。
6-17
完成当時の本社ビル
青野市太郎像
本社ビル完成を祝して
社員一同が贈った胸像
青野重松像

青野市太郎像

青野市太郎像


思い出深い創業後の第一号受注

  「昭和22年10月、井華鉱業(現:住友金属鉱山株式会社)別子鉱業所から自立した別子建設事業所の第1号受注が青野海運株式会社の事務所建設でした。今でも感謝して います」と住友建設株式会社(現:三井住友建設株式会社)の齊藤武幸元相談役名誉会長。青野市太郎とは以前より知りあいであったが、これをきっかけに重馬ともども親子との交遊が生まれた。
 齊藤名誉会長は九州大学工学部土木科を卒業後、恩師林桂一教授の紹介で昭和3年、住友別子鉱山株式会社に入社、土木課に勤務した。林教授も住友別子鉱山株式会社土木課に勤め た経験があり、その縁で入社したのだという。最初の仕事は、四阪島でのペテルゼン式硫酸製造工場の建設で、その設計を担当した。そこからペテルゼン氏との 親交も始まった。
 そのほか、いろいろな仕事に携わったが、新居浜港の築港工事も思い出深い仕事の1つ。住友別子鉱山株式会社は、銅山を中心とする諸事業の拡大で、これに対応する港湾が必要となり、昭和5年に大築港計画をたてた。御代島の西南方を埋め立てて陸地とし、東側には、外郭施設として910㍍(東709㍍、西201㍍、港口 300㍍)の防波堤を築造しようというもので8年5月に起工した。「築港の図面書きもしました。九大の君島八郎教授や内務省の鈴木雅二氏に相談しました が、御代島寄りの堤防埋め立てには苦労しました。海底にヘドロがたまり、いくら石や土を入れてもめり込む。今日埋め立てても明日は海面下に沈んでいる。苦心したものです」と当時を振り返る。青野海運はこの堤防工事の埋め立てに参画しているが、まだ、齊藤元名誉会長との接点はなかった。
 終戦後、齊藤元名誉会長は住友別子鉱業株式会社所長代理兼工作部長であった。 21年正月早々、別子鉱業所長の重野宗弘常務に呼ばれ「土建部門(電気、工作、機械など)の職員を整理してほしい」と要請された。これが別子建設事業所と して分離・独立するきっかけとなった。146人が新生会社に参加したが、経営責任者として毎月の給料日が近づいてくると、給与資金をどう調達するか頭を痛めた。それだけに青野海運からの事務所建設の受注は脳裏に刻み込まれているという。
 「重馬さんとは同じ九大出身ということで一緒に食事したりしました。だが、初めに親しくなったのは市太郎さんの方でした」。
 市太郎の印象は真面目で実直。その半面、「神参りのあとに友人を連れて遊びにいくなど、さばけたところがありました」。
 記憶に残っているのは新居浜商工会議所のお祝いでの市太郎の挨拶ぶり。「壇上に立ってポケットをさぐりながら、『うまい話をやろうと原稿を書いたのですが、うっかり忘れてきました』と皆んなを笑わせながらしゃべり、結果は皆さんから上出来だったと褒められていました」。
 重馬との付き合いも長かった。
 「新居浜にいくたびに有志が集まり食事を一緒にした。インテリで生真面目、円満な人柄。酔った姿を一度も見たことがない。市議会議長や新居浜商工会議所の会頭をつとめ、地元に貢献された。なぜ市長選に出られなかったのかな」というのが感想。
 別子建設事業所は昭和25年、別子建設株式会社に改組(昭和37年、住友建設株式会社に商号変更)、昭和37年、株式を東京市場第2部に上場したが、「青野さん が一般株主として一番最初に株を買ってくれました。信用したらとことん付き合う。気持ちのいい方であり、信義に厚い会社です。 44年に新社屋も当社で建設させて頂きました」と語っている。
 また、昭和34年、新居浜商工会議所が市太郎の功績を讃え胸像を贈ったとき、彫刻家の宮本光庸氏を紹介したのも齊藤元名誉会長であった。「友人を通じて知 り合い、30余年になりますが、素直なお人柄や作風に惹かれた。」宮本光庸氏は徳島の出身で、同じ四国人として市太郎の胸像を制作するのにぴったりの作者 であった。
 
 

 

 
齋藤 武幸
齋藤 武幸
住友建設相談役名誉会長(元社長・会長)

丸重商事へのてこ入れ強化

 昭和45年は万国博覧会(開幕・3月14日)と新日本製鐵株式会社発足の年だった。景気は45年春頃から下降し、秋には、各産業とも生産調整が表面化した。中でも11月の鉄鋼減産は内航を直撃し、内航総連合会は12月期の建造公募を急遽延期し、以後貨物船の公募を約2年半中止した。
 しかし、無機薬品分野は順調に推移し、青野海運株式会社は依然、売り上げを伸ばした。経常利益も3,000万~4000万円を上げ、四国の企業の中でも業績の良さでは屈指だった。この年9月には住友化学工業株式会社の液体アンモニア増産計画に対応して 『第2栄徳丸』(船主・村上桂)を村上秀造船株式会社で進水させ、11月には住友化学工業株式会社、製鉄化学工業の指示により住友千葉化学工業出荷の液体アンモニア輸送に当たった。
 役員人事では監査役の高橋延男が取締役に就任した。高橋延男は市太郎の妹をめとり、市太郎は義兄に当たるが、市太郎から「丸重商事を立て直してほしい」との依頼を受け就任した。住友金属鉱山株式会社を38年間勤め上げたあと住友別子病院の事務長に転身後、青野海運株式会社に移った。丸重商事株式会社(昭和37年2月設立)は経営不振だった共栄物産株式会社を、市太郎が23年に肩代わりして経営してきたが、従業員が3人で、銅ニッケルなどを細々と販売していた程度だった。トラックがないのでスクーターに重い荷物を乗せて駅まで運んだり、他社のトラックを借りたりと苦労も多く、女子従業員を加えて3人の給料が何とか出るぐらいの経営内容。これでは尻すぼみになると、青野海運株式会社のてこ入れが始まったのである。また、監査役・加藤節次郎が死去し、青野春歳が監査役に就任した(12月)。
 
 

 

 
(画像)
昭和45年3月大阪万国博覧会が開催され
6,400万人が訪れた
昭和44年7月アポロ11号月面着陸
昭和44年7月アポロ11号月面着陸

東予製錬所が本格稼働

 住友金属鉱山株式会社東予製錬所が昭和46年6月に操業開始し、青野海運株式会社は東予製錬所出荷の硫酸輸送を行った。住友金属鉱山株式会社は明治38年以来、60余年にわたって四阪島製錬所を中心に銅製錬を行ってきたが、わが国銅需要の著しい伸びに対処するため、44年から東予新産業都市臨海部の磯浦・船屋地区に新製錬所を建設していた。東予製錬所の稼働は丸重商事株式会社の営業拡大に結びついた。高橋延男が住友金属鉱山株式会社に頼んで東予製錬所の故銅滓仕分けの仕事を開拓、この構内作業に関連してトラックの営業免許を受け、陸送部門にも進出した。また、電気銅、タンパン、ニッケルの販売先を四国一円のメッキ業者にも拡大し、それに伴い、これまで東京で行っていた電気銅切断を新居浜に誘致するなど丸重商事株式会社の商圏を広げた。
 
 

 

 
丸重商事で始めた電気銅の切断作業(昭和46年)
丸重商事で始めた電気銅の切断作業(昭和46年)

丸重商事が陸運部創設
丸重商事が陸運部創設(昭和45年)

日本アンモニア操業開始

 住友金属鉱山株式会社・東予製錬所の稼働とともに、東では日本アンモニアが操業を開始し、その製品輸送を行った。当時、欧米でアンモニア工場の大型化が進み、わが国の肥料の最大仕向地であった中国に安値攻勢をかけていた。これに対抗して、わが国の化学工業が大型化計画を進めていた。住友化学工業株式会社でも製鉄化学工業、昭和電工株式会社、日産化学工業株式会社と提携し、アンモニアを日産1,550トン、尿素を日産1,100トン生産できる新工場を建設するため、43年に新会社日本アンモニアを設立した。工場は住友千葉化学工業株式会社の袖ヶ浦第2地区に建設され、製品はそれぞれ4社に供給された。
 船腹拡充では、2月に硫酸タンク船『泉丸』(船主・福羅功)が進水した。南海化学工業株式会社の積荷保証船で、南海化学工業株式会社と古河工業間に就航した。同船は川幅の狭いところでも旋回できるとともに川を遡航できるように油圧でブリッジが上下できるように工夫された特殊船で160トン積みであった。さらに10月には『第61金光丸』が桧垣造船で進水した。同船は住友金属鉱山株式会社・東予製錬所から住友化学工業株式会社新居浜製造所への硫酸輸送を主に担当した。
 
 

 

 
第61金光丸(昭和46年10月)
第61金光丸(昭和46年10月)

back

青野海運グループ史

next

前へ

  次へ