menu mokuji 年表
menu data

文章中に記載されております各企業様の社名は、年代をさかのぼり当時の社名で記載しております。最新の情報と異なる場合がありますのでご了承ください。


トップページへ

history title

第六章 充実期(昭和40年代)社訓十則に企業姿勢

硫酸専用タンカー・第58金光丸

 昭和44年には同和鉱業株式会社との取引が始まった。わが国の硫酸消費量は30年度の340万トンから39年度の549万トンヘと増加し、アメリカ、ソ連に次いで第3位に浮上した。肥料用の硫酸消費は35年頃から横ばいだったの対し、工業用は化学繊維、無機薬品、一般工業用の増加などにより年々10%程度の伸びを示してきた。 40年代は工業用の硫酸需要がますます伸びると予想され、通産省から大規模(日産1,000トン程度)な「硫酸センター構想」が提案されていた。この構想に添って同和鉱業株式会社が住友化学工業株式会社、製鉄化学工業、神島化学工業株式会社、帝国化学工業などと43年3月に業務提携し、同和鉱業株式会社岡山製錬所内に世界最大級の大型硫酸製造設備(月産3万3,000トン)を建設、44年10月に稼働させた。その輸送を同和鉱業株式会社の要請で青野海運株式会社が請負った。同社岡山硫酸センターと住友化学工業株式会社新居浜製造所間の硫酸輸送に当たるため初の硫酸専用船タンカー『第58金光丸』を桧垣造船株式会社で建造(44年12月)した。これまでは在来船にタンクを設備していたが、建造時から専用のタンカーを新造するのは初めてで、これにより輸送効率はアップした。また、同センターからのスポット出荷は青野海運株式会社の扱いとなった。このほか船舶の建造では2月に鋼製艀『ロゴ51号』(公団共有船)が馬刀潟造船所で進水、住友化学工業株式会社の増産に対応して6月に希硝酸船『大和丸』(船主・大和海運)が讃岐造船鉄工所で進水した。
 
 

 

 
 第58金光丸(昭和44年12月)
第58金光丸(昭和44年12月)

back

青野海運グループ史

next

前へ

  次へ